鼓動、千々に

闘病記。あした天気になあれ。

治療方針と化学療法1週目

がんを宣告されたと同時に、治療方針についても説明があった。

治療には約1年を要する。化学療法、いわゆる抗がん剤の投与を行った後、手術で病理部を切除し、また抗がん剤を投与する。これを1年間。意外だったのは、初手が手術ではなかったということ。「まずは悪いところを取りましょう!そこから薬で叩きましょう!」というイメージが漠然とあった。「薬を入れても、これ(病理部)が残ってるんじゃ、またそこから増えちゃうんじゃないの?とりあえず取るのが先決では?」と思っていた。しかし、まず薬でがん細胞の活動を抑制(大きさを縮小)することは、転移を防ぐという大きな目的があり、また手術で切除しきれる大きさにすることにもなるのだと聞いて納得をした。先生の説明は丁寧だ。悪いところを取っちゃえばおしまい、なんて、そんな単純な話じゃないんですね。単細胞ですみません。とにもかくにもまずは入院して化学療法。抗がん剤についても説明があった。「副作用はつらいものになります」とハッキリ宣言された。副作用には個人差がありますが、とも付け加えられたが、「隠しても仕方ないので隠さずお伝えしています」ということだった。気休めは無しと。副作用は大きなところで言えば嘔吐や脱毛。まあ一般的な、ドラマとかで見るそれとのことだった。シンプルに嫌だった。それ以上の感想はなし。その3日後、入院による化学療法が始まった。

化学療法の流れはこんな感じ。3週間を1クールと設定。1週間目は入院治療。1日目は準備日。2日目から3日間、24時間点滴で抗がん剤の投与を行う。5・6日目は24時間、抗がん剤を流す点滴を行う。2・3週間目は週に何度か通院。抗がん剤の点滴や採血を行う。これを3クール繰り返す。

言葉にすると単純というか短いんだけど、これがとてもつらい。最もつらいのはやはり1週目の入院期間。前置きが長くなりすぎたけど、今回はその1週目について書いていく。

吐き気と倦怠感。これは副作用として聞いていたので、まあそういうこと。という感じ。さらっと流そうと思ったけど、やっぱりつらすぎなので後述するとして、1番厄介だなと思うのは寝不足。尿量の測定と点滴の機械のエラー音によるものなんだけど、寝不足って本当に良くないと思う。全部に繋がってくる。睡眠負債って言葉があるけど、ただでさえ不健康なのに負債溜まりまくり。これ以上不健康になってどうするのって感じ。尿量の測定について。副作用で腎臓や膀胱の活動が低下する。抗がん剤が膀胱内に留まり続けると膀胱炎などを引き起こすため、頻繁に(意識的に)尿を排出する必要があって、尿量は常にカップと専用の機械に入れて測定している。3時間単位で尿量が集計され、規定より少ない場合は利尿剤が追加される。これは昼夜関係なく行われていて、夜中の間だと22時、1時、4時に測定が行われる。その間、意識的に(目覚ましのアラームを使う)排尿を行う。3時間おきの測定。が、その間に「点滴の機械のエラー音」にも眠りは阻まれる。「気泡が入った」「点滴が終わった」などなど、様々な理由で音が鳴る。一晩に少なくとも2回は鳴る。音が鳴るとナースコールを押して看護師さんに来てもらい、エラーを解除してもらう。個室ではないので、他の患者の諸々でも起きてしまう。おしっことエラー音とその他に眠りは阻害され、満足に体力の回復ができないのだ。排尿の必要があるため、睡眠導入剤的なものも使えずで...しっかり眠れてさえいれば、副作用もここまで酷いことにはならないのではと思う次第。吐き気と倦怠感はもう本当にどうしようもないもので、現在、2クール目の入院を終えたところだけれど、副作用の中、「がんを放置する。死ぬけど痛みがないと仮定する」or「このつらい治療をして治す」で、前者を選ぶ想像をしてしまった程度につらい。入院3日目くらいからは、吐き気で食事のほとんどが摂取できなくなる。固形物はまず無理。身体も動かない。身体の中心の、胃から指の先まで広がっていくように、全てが泥になってしまったような気分。絶望的である。

1週間目の入院が終わり、退院の日を迎える。2日間の「流し」を経ているので、体調は抗がん剤を投与している日より良いはずなのだが、そう簡単にいかなかったりする。退院自体は今のところ2回しているが、どちらも体調は良くなかった。元気になったから退院するはずなのに。2回目に至っては調子が悪すぎて退院が1日伸びてしまった。どちらでも発生したのが、酷い目眩。顔色が「白(血の気が引く)、青(吐き気が襲う)、赤(頭に血が上る)」を短時間で何回転もするような目眩。f:id:hapimi:20200218181638j:image顔面、床屋のアレ状態。

入退院に付き添ってくれる夫に、心からの感謝を。

そうそう、もうひとつというか本当に致命的なのが「血管が非常に見えづらく、弱い」ということ。点滴のルートをとっていただく時には何度も何度も失敗してしまうし、運良く取れても血管が破れ炎症を起こしてしまった(この治療の時のステロイド注射は死ぬほど痛かったし、その後の塗り薬も面倒くさすぎた。ただ、壊死しないで本当に良かった。壊死って怖すぎる...)。両腕はルートを探る時の痣や血管炎で見た目にもボロボロになった。痛々しいし実際痛い。f:id:hapimi:20200219155723j:imageこれが1番酷い血管炎。少し漏れたかもねーとのこと。痣は治ったけど赤くなった血管のラインは黒く色素沈着してる。あと硬くなっちゃった。こんなことを何度も繰り返していられないので、次の入院前に「ポート」と呼ばれるちょっとした装置を埋め込む手術を行うことになった。手術は嫌だが、毎回苦労をかけるのも申し訳ないので早々に受けることにした。ルート確保から(お互いに)解放されるのは喜ばしいことである。それと、両手がフリーになるのは嬉しい。

 

というわけで今回は、化学療法と入院1週目のお話でした。