鼓動、千々に

闘病記。あした天気になあれ。

抗がん剤 8回目(5/9回)

あんなに暑かった夏が割とあっさり過ぎ去り、あっという間に秋がやってきた。f:id:hapimi:20201005181426j:imageこの入院で、目標としている術後6回の抗がん剤治療まであと一息となる。幸い、このところ副作用が軽くなってきていて(とはいえ貧血が台無しにしてくれてるけれど)、とはいえ、副作用が軽い=身体が薬に慣れて、薬が効いていないのでは?という疑問があった。主治医に聞いてみると、そんなことはない、ちゃんと薬は効いていると思います、骨髄抑制が大きくある人は、薬がよく効いているなんて話は聞いたことありますけどねとのことだった。私の骨髄抑制は人並みらしい。人並みでも、薬が効いてくれているなら万々歳だ。

ここ最近は、資格の勉強ばかりしている。今の会社は優しいから、席を空けて療養させてくれているけれど、何もなしで復帰というのも気が引ける(ちゃんと療養しろと思うかもしれないけれど、勉強も無理はしないようにしている)。それにこの病気は再発がないとは限らなくて、もしそうなった場合は多分解雇になる。これまでの私はサボりにサボっていたので、大した資格もない、ただの20代後半女性である。このままでは再就職は厳しいと思う。このご時世。それから、万万が一、解雇になった後、また復帰させてもらえるようなことがあったときに、使い勝手の良い人間でありたい。資格が全てではないと思うけれど、ないよりきっとマシだ。9月にFP2級を受けて(自己採点では合格)、12月にビジネス実務法務を2,3級同時受験して、3月にビジネス会計を2,3級同時受験するつもりだ。今はビジネス実務法務を勉強中で、3級は1週間でテキストを読了して過去問9割取れるところまでいったけれど、2級はテキストをようやく半分読んだところで、絶望感しかない。手も足も出ないとはこのことで途方に暮れている。10月中にテキストを読了して11月はひたすら過去問を解こうと思っているけれど、どうなることやら...

さて今回の入院では、赤血球の値が5.1と過去最低を更新、まさかの初日から輸血となった。そりゃリビングからトイレ行くだけでぜえはあなるんだもの...輸血が済むと唇の色も良くなり、息切れもマシになった。「マシになった」程度なので、退院前にも輸血をすることになっている。

それから久しぶりにリエゾンの先生とお話した。不眠に悩んでいて、特に肩から先と腿から先がむずむずして眠れないことがあると主治医に話したら、眠剤のせいかもということで、詳しい話をリエゾンの先生とした。やはりおそらくは眠剤のせいという結論で、眠剤を変えてもらうことになった。それから日々の困りごと(というか愚痴)を聞いてもらった。話すとやっぱりスッキリする。仕事を休んで、友達もほとんどおらず、病気コミュニティの参加も拒否している私には話し相手がほとんどいない。両親と夫くらい。それはそれで充分にありがたいことなんだけれど、ただ話を聞いてくれて、医療方面から返答をくれるお医者さんって、とてつもなくありがたい存在だなあと思った次第。それとがんとの向き合い方で「拒絶」「悲しみ」「怒り」とかを順番に経て(この順番があやふや)、「受容」でゴールって話をどこかで聞いたことがあって、ここ最近の私はずっと「怒り」で止まっている、前に進めていない気がするという話をリエゾンの先生としているときに、看護師さんが薬剤の交換で来て、小耳に挟んだ程度だろうに後からその話をわざわざしに来てくれたのが嬉しかった。感情は順番に訪れるんじゃなくて、行ったり来たり止まったりを繰り返して、いつか受容に辿り着くから心配ないよって。退勤間際だったろうにありがたい...この看護師さんは男性なんだけど、とってもフランクで、良い話し相手になってくれている。晩ご飯どうするのー、とかどうでも良い話ができる相手がいるって、なんだかとても嬉しい。

今回の入院は副作用が少なくて、なんと勉強までできる日があった。今までで1番調子がよかった。10月中にテキストは読み終えたいと思っていたので本当にありがたい。ただ、今飲んでいる眠剤が手足にムズムズが出てしまうタイプで、新しい眠剤を試してみるもこれが全く効かず、昼夜逆転生活を送る羽目になった。なので帰路が本当に心配...だったことと今回は夫がいないので、お金はかかるけどタクシーで帰ることにした。結果、無事。良かった。

 

今回の退院、寝ても寝ても眠い。眠剤出し忘れられてるのにね。ふしぎ。

それでは、また。

 

抗がん剤 7回目(4/9回)

貧血が酷い。抗がん剤で骨髄がダメージを受けているのか、常時骨髄抑制状態になってしまっている。前回の退院前に輸血をし、翌週にまた輸血をした。体感的には幾分良くなっていたが、翌々週の採血では赤血球の数値は僅かに回復したものの、まだまだ貧血の範囲内だった。ここから下がるようなら来週の抗がん剤はできませんと言われてしまうほど。

で、採血結果はギリギリセーフ。今回の入院でも輸血することが確定し、治療開始となりました。

3年目の看護師さんが論文?を書くらしく、私をモデルケースにしても良いですか、との依頼があった。がんと闘う中で、いかにして生活の質を下げないか的なことがテーマとのこと。確かに抗がん剤で入院した後は生活の質が下がりまくりなんだよね。家事の一つ一つがつらいけど、やらないで家が荒れていくのはめちゃくちゃストレスという悪循環。という話をその看護師さんにすると「旦那さんのご協力は...?」と訊かれた。夫は協力的!だけれど私の快適レベルと夫のそれは結構な差があるので、私が依頼すると夫には結構なハードルになってしまう。まして仕事から帰って疲れているところにあれこれ依頼するのは心苦しいしでなかなか難しかったりする。

とそれらしいことを言っておきながら、この入院の少し前に「もっとちゃんと掃除してよ!」的なことを言ってしまい、ちょっとした喧嘩になったりした。私は自分が夫より神経質な自覚があるので、依頼する時は(言い方悪いけど)それなりに妥協してお願いをしていた。でもそれでも仕上がりがどうしても我慢できないレベルで、思わず強く言ってしまったのだけれど、仕上がりが良くなかったのは確かなんだけれど、夫は私の言い分に合わせて色々やってくれていたのに、あの言い方はないよなあ...と反省した。夫だって疲れてたりしんどかったりすることもある。掃除だって気付いた(気になった)私がちょっとやれば良かったのだし、体調的にそれが難しいならもっと別の伝え方をすれば良かったのだ。夫は大人なので、ちゃんと掃除できてなくてごめんと謝ってくれ、私は酷い言い方をしてごめんなさいと謝った。となんとか丸く収まったのだけれど、今後、本当に気を付けなければと肝に命じたのであった。

話が逸れてしまった。QOLを下げないためのアプローチ。さてこちらはどうなることやら。副作用から生活の質が下がるのは仕方ないことと諦めているところがあるし、生活の質を下げないために何かをする(吐き気や怠さが現れるタイミングを記録するなど)気力がそもそもないんですけれども。というダメ患者なので、看護師さんの論文に協力できるかどうか...笑

今回の病室はなかなかに最悪だった。隣が痴呆気味&耳が遠いお年寄りで、看護師さんが大声で繰り返し話さないと意思の疎通ができない。これを隣で四六時中聞かされているので、正直かなりしんどい。それから同室の誰かは分からない(顔も見たくないのであえて分からないままにしている)けれど、排泄音が爆音の患者がいて本当に最悪だった。ドア貫通音姫貫通、飯時も何も関係なしにやられるので本当に無理。私は大の方をする時は部屋のトイレは使わず、少し離れたトイレまで移動するので、こういう人の神経は本当に分からないし許せない。精神的苦痛で慰謝料請求したいくらい笑 大部屋だからある程度は仕方ないにしても、今回は本当に治療に支障出るんじゃないかってくらいハズレだった。同じフロアに個室の部屋がいくつかあるけれど、その前を通るたび、めちゃくちゃ恨めしい気持ちになった庶民の私。おまけにこの部屋、電波がめちゃくちゃ悪い!この病院自体が電波入りにくいんだけど、私がよく入院する部屋は電波に関してストレスはなかったんだけど、今回ちょっと違う部屋になって、ここがまあ電波が酷い!電波のバー(?)が5本中1本しか経たないし、酷い時は3G!このご時世に3Gってどういうこと!?入院中はスマホが頼りなんだから、電波が入らないとか本当に論外...

今回、いつにも増して吐き気が酷く新しいお薬を試してみた。向精神薬を兼ねた吐き気止めだそうで、これが結構効いてくれてだいぶ楽になった。先生も「やっと見つかった!」と喜んでいた。文字を読んだり書いたり、目を使うと一気に具合が悪くなってしまうのだけれど、何もしなければかなり具合が良い。薬の強さが強→中→弱の繰り返しで、今回は強。これを乗り切れたのは大きい。向精神薬と聞いた時には思わずドキッとしてしまったけれど、本当にありがたい。このまま体が薬に慣れず、効き続けてくれることを願うばかり。

と思ったら帰路で大波乱。途中までは調子良く帰れていたのに、唐突に目眩に襲われ転倒&嘔吐。壁に激突したので唇を切ってしまったり。いろんな人に迷惑をかけてしまって本当に申し訳なく...夫が付き添いでいてくれて本当によかった...吐いたらスッキリ、けろりとしてしまうんだけど、次の帰りも怖いなあ...

それからこの話もしておきたい。ブラックパンサーで主役のティ・チャラ/ブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンが大腸がんでこの世を去った。43歳という若さで。ブラックパンサーアベンジャーズシリーズを撮影したのは闘病中のことだったと聞いて愕然とした。CG技術が発達しているとはいえ、アクションシーンがたっぷりあるし、手術や抗がん剤と並行するとなると、立っているだけでしんどいことだってあったはず。正直、想像を絶する。それなのにあの完璧な、威厳があって慈愛に満ちたティ・チャラというキャラクターを演じ切ったこと、奇跡としか言いようがない。チャドウィックは奇跡を起こした。訃報が世界に知り渡ると、たくさんの人がチャドウィックについて語ってくれた。その話のどれもが素晴らしいものだった。失くすにはあまりに惜しい人だと思う。がんを克服することはできなかったけれど、それでも有り余る程の勇気と感動を貰えた。本当にありがとうございました。そしてお疲れ様でした。

ワカンダフォーエバー!チャドウィックフォーエバー!f:id:hapimi:20200917193018j:image

 

それでは、また。

抗がん剤 6回目(3/9回)

入院の前日は、どうしていつもこう眠れないんだろう。試験勉強をみっちりして、頭は疲れて眠いはずなのに、眠れたのはたったの2時間ほどだった。抗がん剤は体力を使うので、できるだけ寝ておきたかったのだけれど...というお決まりの流れで今回の入院もスタートした。

最近は、家から最寄り駅までもタクシーを使うようになった。体力が落ちに落ちてしまったのと、骨髄抑制による貧血と酷暑とのトリプルパンチで、あの短距離ですらどうにもならなくなってしまった。コロナは怖いけれど駅まで辿り着けないのでは話にならない。タクシーを呼ばなければならないので、アプリを使うようになった。車種が選べるし(Japan Taxiという、少し背の高い車種だと乗り降りやキャリーケースの運び入れがとても楽)、決済もネットでできるのがめちゃくちゃ便利だ(今だに現金決済だけのタクシーほんとなんなの)。そんなに余裕があるわけではないけれど、お金をかけて楽ができるなら進んでやっていきたいと思う。これだけ頑張ってるのだから、できるだけ自分を甘やかしてあげたい。

入院初日は採血や治療方針の説明だけ(といっても結構忙しいのだけれど)。抗がん剤はないので点滴に繋がれることがなく、デイルームや売店への行き来は自由。なので今回は初日の昼夜は病院食をキャンセルして、売店で買ったものを食べることにした。少しでも「入院してる感」を減らしたかった。この日は晩ご飯をデイルームで済ませ、20時くらいまでテレビを見て過ごした。

入院手続を済ませたら、入院中の飲み物をまとめて買いに行くのだけれど(抗がん剤始まったら基本病室にいなければならない)、シャインマスカットのサンドイッチを発見。f:id:hapimi:20200825110002j:image全然美味しそうに撮れてなくて笑ってしまうんだけれど、とっても美味しかった。見つけた時、400円は高いなと思ったんだけど、食べてみたら全然そんなことなかった。シャインマスカット大好きなので、コージーコーナーのケーキも早く食べたいし、退院したら美味しいシャインマスカットを取り寄せたいとも思っている(生モノokのタイミングが激しく微妙なので難しいけど...)。

初日は大部屋が満室で、4人もいると誰かに何かしらの用事で看護師さんやら薬剤師さんやらがひっきりなしに出入りしていた。これが本当に落ち着かない(それが大部屋というもの)。特につらかったのは隣の人が看護師さんと話し込んだタイミングで、その看護師さんの声がかなり通る声だったこと。カーテン越しなのに耳がキンキン。ここまで騒がしいのは久しぶりだったので少し面食らったが、耳栓をつけてるとだいぶ落ち着いた。前日眠れていなかったのが響いて、いつの間にか眠りに落ちていた。すぐ後にシャワーの予約を入れていたのでほんの短時間だったけれど、シャワーのためにセットしたアラームで起きる、でも夢の中でした、ということが何度も繰り返されて、これはもう永遠に起きられないのではないかと思った。耳栓とアイマスクは睡眠にとっておきのアイテムだけれど、起きるのになかなか苦労する。朝の点灯も目覚ましの音もほとんど感じないからね。それから皆さま結構な頻度で部屋のトイレに行くもので、今回ありがたいことに窓際だったんだけど、トイレ近くのベッドだったらストレス半端じゃなかっただろうなと思った...良かった...

2日目も抗がん剤治療、3日目は流しの点滴と輸血があった。貧血の進みが早く、2週間後に試験がある関係で輸血してもらうことになった。献血をしてくれている人には感謝しかない。今回は吐き気や目眩は少なくて済んだ。新しい眠剤が変に効いて、午前中意識がなくなる勢いで寝てしまったということはあったけれど。

今回は退院の時に夫が付き添ってくれる。前回と前々回は仕事のスケジュールが合わずで1人で帰宅したけれど、正直つらくて不安で仕方なかった。なので今回はとても心強いしありがたい。仕事帰りに疲れているところ本当に申し訳ないんだけれど、甘えさせてもらおうと思う。

 

 

放射線が終わったら、9回入院して抗がん剤を投与する流れになっている。今回の入院で3回目。1/3を終えたことになる。心情的には、ほんの少しの達成感と圧倒的なトラウマというバランス。入院は毎回憂鬱だし、退院したからといってすぐに元気になるわけじゃない。副作用に慣れることはないし(むしろどんどん強くなっていく)、気力も体力も奪われて、自分が病人(しかも厄介めの)であると嫌でも自覚させられる。という具合に、やっぱりトラウマだらけなのである。

残り6回。ただ、治療内容的に身体が持たず完走できないこともある、というかやりきれない方が可能性としては高いのだそうだ(6回まではなんとかやりたいとのこと)。代謝が良い子どもの治療のため、代謝が悪い大人だとかなりしんどいことになるらしい。抗がん剤は嫌で嫌で仕方ないし、治療をやめてしまいたいという思いは常々強くあるけれど、できることなら、つらいと言いながらでも治療は完走したい。

 

引き続き頑張ろうね、私。

それでは、また。

抗がん剤 5回目(2/9回)

早いものでもう8月になってしまった。梅雨明け宣言がされてから、天気予報は晴れ一色だ。こんなに良い天気なら窓側はさぞかし気持ちが良いだろうな、と恨めしい気持ちを抱えながら、5回目の抗がん剤治療の入院となった。

今回は薬自体が弱めかつ量が減っていく流れになっていて、当初は6日間の入院予定だったが、調子が良ければ5日で退院できることになった。お世話になる抗がん剤は、オンコビン(1日目のみ)、コスメゲン(初、3日間)、イホマイド(2日間のみ)となっている。いつも副作用の吐き気に悩まされているが、今回は幾分楽ではないかというのが主治医の見立てである。それから、減薬の申し出もあった。私は骨髄抑制によって貧血が強めに出るタイプらしい、という話から、子供用の抗がん剤を大人が使うとその作用がかなりキツいこと、服用する量を身長と体重と表面積?かなにかで割り出すらしいが、私の場合その計算だと100%でも過剰になってしまう、90%、80%でも多いくらいだと思うが、とりあえず90%に減薬しましょうとのことだった。100%で続けると早期に治療を中断することになるだろう、それなら減薬をしてできるだけ長く治療を続ける方が賢明とのことだ。そもそも減薬をしても完走できる方が稀だとのことで...過ぎたるは及ばざるが如しということで、抗がん剤は減量をすることになった。

血栓性外痔核については、処置をするなら血球が回復している今が狙い目とのことだったが、腫れと痛みが引いてきていることもあり、軟膏を変えて様子を見ましょうということになった。抗がん剤の副作用が軽めなこともあり、先生が言う通り今回が狙い目のような気がしないでもなかったが、できることなら切った縫ったはしたくなかったので、おとなしく指示に従うことにした。

入院というのは何回しても酷く憂鬱である。ここの看護師さんは素晴らしい方ばかりなので、気持ちよく仕事をしていただけるよう、私自身良い患者で在ろうと心掛けている。でも、内心は酷い憂鬱を抱えていて、誰とも話したくないと塞ぎ込んでいる。それを見せないようにするのが、最近とてもしんどくなってきている。日毎の担当のご挨拶、1日何度もある検温と血圧測定、ご飯の声掛けなどなど...会話をする機会がたくさんある。正直なところ、全部面倒くさい。担当は誰でも良いし(良い人ばかりなので)検温も血圧も勝手に測って欲しいしご飯は置いておいてくれれば食べるし...それから事故防止で事あるごとにフルネームを言わされるけれど、じゃあこのリストバンドは何のために付けているのと思う。フルネーム言う→リストバンドバーコード読み取り、のダブルチェックが大事なんだよね、分かっています。が、本当に事あるごとなので面倒くさい...私は元々決して感じの良い人間ではないので、それっぽく見せるのは本当に気力が要る。元々の性格がこれなのに、副作用が出るといよいよ良い人で居続けることが難しくなる。ボロが出るのも時間の問題かな...

今回の入院は同室の患者にも恵まれなかった。斜め前が騒音おばさんだった。とにかく声がでかい。独り言が激しく、四六時中ずーっと何か呟いている。入院中は基本耳栓を付けっぱなしにしているんだけれど、余裕で貫通してくる。これはかなりのストレス。看護師さんが結構な頻度で様子を見に来るんだけれど、声がでかいからそのやりとりも筒抜けで、聞きたくもないことを聞かされるものだから、放っときなさいよ...と思ってしまう(無茶言うな。でも、◯◯さ〜ん!って元気よく病室に突入してくるのは切実にやめて欲しいと思う。自分でも他人でもびっくりするんだよ...いつも)。手術?処置?で不在だった2時間がものすごーく平和だったんだけど、戻ってきたらそりゃもう大騒ぎでうんざり...極め付けは深夜に動画を見出したり(何故か放射線治療の説明動画)、朝4時にテレビを見出したり。どちらもイヤホンなしでガンガン音声が流れており、無視して寝ようと努力するも何度も起こされたので、看護師さんに注意してもらった。すぐに音は止んだものの、悪びれる様子は全くなし。本当にどういう神経してるんだか。睡眠不足がどれだけ治療に悪影響かは何度も書いたことなので省略するけれど、看護師さんもよく分かってくれているようで、本当にごめんなさいと何度も謝ってくれた。いや、看護師さんが謝る事では全くないし、そんな事で(私が言い出した事だけど)ストレス溜めないでくださいと頭を下げたくなった。その後、隣の部屋に空きがでたため私が引っ越せそうだとの打診があり、更にその後、おばさんが治療の関係で病室を移る事になった。病室を移動する時もそれはそれは騒がしかったが、その分居なくなってからの開放感が凄まじかった。ああいう生活音がうるさい人は本当に受け付けない。私はあんなモンスターではないけれど、夫との生活や入院中、気を付けようと思った。その後はずっと病室独り占め。気を遣ってくれたのだろうか...

なんやかんやで今回の入院もどうにか終了。入院前にお通じがあって以来、1度も出ない重度の便秘や、猛烈な吐き気、くしゃみからのえずきが止まらず困った。薬は軽いはずなのに、重くなっていく副作用...先生に心配だなあと言われながらの退院。そういえば、前回の高熱では白血球・好中球・炎症反応のどれもが、即入院してもおかしくないくらいの数値だったらしい。痔以外元気といえば元気だったんだけどなあ。ともあれ、今回はめまいが出なかったのが良かったのだけれど、帰り道が暑すぎて何度か目の前がチカチカした。どうにか辿り着いた玄関で腰を下ろし、自分はどうしてこうなってしまったのだと少し泣いた。

近所でヒマワリが咲いていた。ヒマワリ好き。f:id:hapimi:20200805145712j:image※背景が映り込んでしまったので、適当な画像を拝借。

次の入院まで暫しのお暇。ゆっくりすることにします。

抗がん剤キャンセルと血栓性外痔核

1週目:入院での24時間抗がん剤投与(済)

2週目:通院での抗がん剤投与(済)

3週目:通院での抗がん剤投与(中止、今ここ)

ということで、今週の抗がん剤投与が中止になった件と、それに至るまでの経緯をつらつらと。

先週の火曜日。診察から帰ってシャワーを浴び傷口を確認すると、結構な範囲の皮膚が剥けていた。良くなりましたと報告してきたばかりなのに、なんてタイミングの悪さ...放射線の皮膚炎が回復しても抗がん剤で悪化することもあるから気をつけて、と言われたばかりだったので、ああこういうことかと落胆した。これから骨髄抑制で白血球が減少するから、感染症がひたすら怖かった。結果としては皮剥け部分に関しては感染症には至らなかった。手術した側でもあったので痛みも少なくて済んだ。問題は、肛門だった。放射線皮膚炎で酷い痔を患ったが、症状としては腫れ(ぷにぷにしてる、1日で引く)・出血・痛みであった。だが、今回の痔は出血はほぼなし、腫れ(かなり硬い、全く引かない)・痛み(前回も酷かったが、前回の比ではないほど痛い)と散々なものであった。調べてみると「血栓性外痔核」という種類で、要は肛門にできる血豆のようなものらしい。血行が悪くなるとできるようで、ああ確かに入浴できてなかったしなあ、でも皮膚炎があるんだから無理だったんだよ仕方ないじゃないと思った。これがものすごい激痛で、立っていても座っていても横になっていても痛い。藁にもすがる思いで調べると、1週間から10日もすれば血豆が破れるか吸収されるかされて楽になることが多く(入浴かカイロが有効)、手術でも短時間で済むらしい。お尻にカイロを貼りつつ、前回の皮膚炎でもらっていたオキシコドンがあったので、それを飲んでどうにかやり過ごしていた。

ようやく診察の火曜日になる。快方に向かうとされる1週間が経ったが、痔の痛みはピークに達していた。この日は通院の日。抗がん剤治療を受けるため、起きてすぐに検温を行う。軽い頭痛があった。痔の痛みと比べると全く大したものではないけれど。骨髄抑制による貧血で酷い頭痛を経験したことがあったので、もう貧血きちゃったかー...と思った。結果...f:id:hapimi:20200730183838j:image驚愕の39.1℃ ええ...人生で1番の高熱だあ

悪寒や熱っぽさ、自覚症状がまったくなかったので、本当に驚いた。真っ先に浮かんだのはコロナ。思わず、机の上にあったクッキーを口に運んだ。バターの香りが鼻を抜ける。ちゃんと美味しい。嗅覚も味覚も問題なし。それから、咳はまったく出ていない。ということを今日が受診日であることと併せて病院に電話で伝えると、とりあえずマスクをしっかり着用して時間通りに来るよう指示された。

病院に着いてから検温、採血等を済ませ待っていると、呼び出しのベルが鳴った。先生が血液検査の結果を説明してくれる。骨髄抑制の真っ只中(白血球と好中球はどん底どん底、ほぼ無い状態)で、かつ炎症反応が結構な数値に跳ね上がっていた。熱が上がったのはこのせいだった。この日の抗がん剤は中止。白血球を上げる注射(ジーラスタ)を打って抗生剤を処方され、次週の入院から抗がん剤を予定通り進めましょうとなった。初っ端から躓いちゃいましたね...と力なく笑うと、初回の抗がん剤は強いですから、良くあることですよと慰められた。治療が予定通り進まないのはやっぱり焦る。この後もこういう事はたくさんあるんだろうなあ...痔の方は先生は専門外なのでよく分からないけれど、今は血が止まりにくい、傷が治りにくい状態なので処置は難しいだろうとのこと。この痛みが続くようなら考えなきゃねとも仰っていたけれど。

その日はとぼとぼよろよろ帰宅。あまりの痛さに増量してもらった麻薬(言い方)を服用したものの、なかなか効果が出ない。抗がん剤は中止になるし尋常じゃない痛みは引かないし...メンタルが限界だった。夫が気遣って色々声をかけてくれたのだけれど、かなり冷たく当たってしまった。絶対にしてはいけない事だと分かっていたのに、治療が始まって以来、一番気をつけていた事なのに...とめどない自己嫌悪。でも、自己嫌悪は自己満足。早く自分を整えて、きちんとした状態で夫に誠心誠意謝らなければ。そう思ってひとまず横になった。翌日、謝罪(半泣き)...許してもらえなくて良い、それだけのことをしてしまったのだから...それでも夫は優しくて、ちょっぴり嫌味を言いながら、いつも通りに接してくれたのでした。ごめんなさい夫、ありがとう夫。

次の日、熱と頭痛がすっかり引いて一安心。問題の痔にはしばらく苦しんだ。カイロを貼る温め療法を続けていて、少し楽になり出したのは10日目の事だった。良くなるのは1週間から10日という事だったので、かなり時間がかかったことになる。痛みがほぼ無くなったのはそこから2日経った頃(排便は相変わらず痛い)。でも腫れは殆ど良くなっていない。血栓そのものなのか「芯」がガッツリ残っている。腫れた分の皮が伸びて残る事はあると聞いているけれど、芯が残っている限りすぐに再発しそうで怖い...それともあれだけ痛かったのは血栓云々ということじゃなくて化膿してたってことなのかな...もうあんなつらい思いはごめんだ。やたら抗生物質に頼るのは良くないだろうけれど、骨髄抑制の時くらいは服用しても良いかな...と思ったりもする。

そういえば、先生が診察の時におでこで測る体温計をピッ!としてくれて、これは早くて便利だなあと欲しいなあと思った。結果は36.7℃。そのあと看護師さんがこっちで測ってとベーシックな体温計を持ってきて、えー今測ったのにねえなんて言っていたら...38.9℃。おでこのやつ全然ダメじゃん笑

火曜日にはまた入院。今度の入院は1日長いので今から憂鬱すぎる。早く退院したいよー!

治療から半年が経ちました

朝、はてなさんからこんなメールが届いていた。f:id:hapimi:20200720162641j:image

このブログを始めてから半年経ったとのこと。ということは、闘病も大体半年経ったということで。体感としては、あっという間。がんを宣告されたのが1月の真冬だったけれど、もうすぐ梅雨が明けようとしていて、今日は溶けるように暑かったりする。でも、中身は相当に濃くて、そのほとんどは苦しみだったなあ。

最初に出会った苦しみは、抗がん剤による副作用...と思ったんだけど、がんを宣告されたことがいちばん初めの苦しみだったよね。いきなり、あなたはがんです、それもめったにない珍しいやつでデータがありません。なんて言われてさ。なんで私が、これからどうなっちゃうんだろう、死んじゃうのかな...仕事は?お金は?でも死んじゃうなら意味ないよなあ...冷静であろうと努めていたけれど、とにかく怖かったし、申し訳なかったし、たくさん泣いたなあ。夫も両親も職場の方も泣かせてしまった。がんは先が見えない病気だし、最悪の結果は死だし、急転直下に悪くなることだってある。いつ、どうなるかわからない。この苦しみは今でも続いてる。怖くて眠れず、泣き通す夜もある。多分この苦しみはずっと続いていく。

そんな気持ちをどうにか奮い立たせて、抗がん剤治療を受けた。吐き気と倦怠感、手足の痺れ、味覚障害、感覚過敏などの副作用に苦しんだ。まあ並べたらキリがないというか健康、まともに機能しているところは何一つないですという感じ。入院中、看護師さんが抗がん剤を扱う時に顔をシールドで覆いビニールエプロンを着け手袋を二重にしている意味が分かる。劇薬なの。毒なの。そんなもんを身体の中に入れて、がんだけに作用するなんて都合の良い話があるわけないよね。それにしたってつらい。ベッドから起き上がることもできないで1日が終わる...なんてことも多かったし。なんだか蛞蝓みたいだな、なんで生きてるんだろ、これって生きてるって言えるのかな...って思ってた。

次は手術。その少し前に抗がん剤の副作用で貧血の症状が強く出て、初めて輸血したのもこの時。寝ていても酷い頭痛で起きてしまう、3歩歩くだけで息切れと動悸。輸血と合わせて長い入院になったのがつらかった。コロナが流行り出した頃だったから大事をとって外出を取りやめたんだっけ。手術後は身体中からいろんな管が出ていて思うように体が動かせなくて、食事も歯磨きも満足にできない。座っているのがつらいから寝ていることしかできない。回復が遅くて、縫ったはずの傷が開いて、浸出液や血が止まらずいつも下半身はぐずぐず。延びていく退院。今週から帰れそうと期待を持たせてやっぱりダメ...上げて落とされてでメンタル崩壊...みたいな繰り返しだったなあ。それでも根気強く傷のケアをして、ようやく傷が塞がって。取り出した腫瘍の端にがん細胞が残っていたのはショックだったけど、予想通りでもあったなあ。場所がね、本当に悪いから。

記憶に新しい放射線治療。全33回、しっかり通いきりました。放射線炎、本当に酷く出たもので。尿道・膣口・肛門一帯がどろどろに溶けて。排泄のたびに痛みがあって、更に清潔にしないといけないからシャワーも当てないといけない。酷い痔が1番つらかったかな。便器が真っ赤になったのを見て恐ろしくなった。気力も体力もごっそり削られていて。場所柄、惨めだと感じることも多かった。浸出液と軟膏で続く下半身のぐずぐず。座っているのは当然つらいから、ほとんど横になっていたなあ。そんな中で毎日の通院。歩くのもつらくてタクシーに乗り込むのもつらくて。それでもなんとか、どうにか通いきって、皮膚炎が回復したのは終了から2週間が過ぎたころだったかな。今日、ようやく久しぶりにお風呂に入れるところまで回復した。

治療はまだまだ続いていく。まずは1年、治療をしっかりやり通すことができるように、1年経ちましたってブログに書けるよう頑張っていこうと思う。まあこのブログ、特に誰が見ているわけではないし読者もいないんだけれど。闘病ブログといえばAmebaだけど、あちらで書いている人たちのビュー数や読者数ってものすごいよね。はてなとは全然毛色が違うけれど、私があちらで書いていたら多くの人に読まれていたのかな、なんて思うこともあったり。読まれたいというよりかは、せっかくだし、私の体験が他の人の為になれば良いななんて思ったりすることもあるので。がんの名前を公表すれば検索とかで引っかかるようになるのかな。身バレ怖いな笑 まあ、色々考えましょう。

それでは、また。

抗がん剤 4回目(1/9回)

抗がん剤(1月下旬〜3月上旬、3週間×3回)、手術(3/30)、放射線治療(5/11〜6/23)を終えて、再び抗がん剤のターン。はじめに抗がん剤をして腫瘍を縮め、手術で可能な限り周辺の組織を含めて切除し、取りきれなかった部分に放射線を当てた。今度の抗がん剤は、レントゲンやCTにも映らない微小転移(あるかどうかは分からないけど)を叩いたり、再発を予防するために行う。期間は約半年。3週間×3クール×3セット。長丁場な上、苦手な夏に差し掛かるので体力的な不安はあるものの、徹底的にやっつけてもう二度とがんなどと言わせないぞという気持ちでいる。

私が患っているがんは希少がんというもので、治療法が確立されているわけではないらしい。でも、私がお世話になっている病院では治療方針があってそれを受けさせてもらっている。心強い。抗がん剤はいくつかの種類を組み合わせて投与されるのだけれど、今回はVAIA療法と呼ばれるもので、初回はこれにプラス1種類したものを投与していた。私のがんは、もともと小児がんに分類されるため、抗がん剤も子ども向け(?)の強いものらしく、代謝が活発な子どもは強い抗がん剤もスピード的に排出するけれど、年が行っていると代謝が悪くなるため、副作用も強く出てしまうとのことだった。確かに初回は本当につらかったなあ...ただ、これから受けるのは少しずつ量が減っていくらしい。なので、副作用もそこまでつらく出ないのではないかというのが主治医の見解である。実際、今回は火曜入院の土曜退院で、この前より1日少なくなっている。病院にいること自体で(精神的に)具合が悪くなってしまう私としては、大変助かる。しかも今回は嬉しいことに窓際だったf:id:hapimi:20200714213108j:image抗がん剤投与中は、朝も夜も関係なく3時間おきに採尿がある。尿量を測定する機械は部屋のトイレではなく、フロアの共同トイレにあるため、採尿の都合だけでいうと出入り口に近いベッドの方が良かったりする。副作用が出ていると、わずかな距離でもしんどさがダイレクトに来るためである。それでも、外を見られる開放感はやはり格別である。それが梅雨時の曇天続きだとしても。

そうそう、今回の入院から導入したアイテムがなかなかに重宝しているので書き残しておく。まずはこれ。f:id:hapimi:20200714213942j:image細々したものを全部まとめて収納できるやつ。この安定感がなかなか良い。体温計や貴重品ケースの鍵や眼鏡は枕の横に置きがちだけど、ベッド下に落ちると特に悲惨なのである。目薬や耳かきも耳栓も枕元にある幸せ。ペットボトルに被せている緑のキャップは、ペットボトル自体のキャップと換えることでストローを差し込めるようになる。入院後半になると起き上がるのもつらくなるので、枕元で水分補給ができてありがたい。ただ、「吸う」という行為はなかなか力がいるもので、吐き気等でしんどいときにはつらいかも。少し頑張って起き上がり、普通に飲む方が楽かもしれない。

あと、ペットボトルに装着できる携帯ウォシュレット。f:id:hapimi:20200714214605j:imageこれ考えた人本当に天才だと思う。直接お礼を言いたい。シェフを呼んでくれ。ウォシュレットなしでは綺麗に用を足せない、でも外のウォシュレットを使うのは...という人にぴったり。ウォシュレット部分をこんな風に収納できるのも良いところ。f:id:hapimi:20200714215151j:image本体だけ持ち歩いて、用を足したくなったらお水を買えば良いだけなので、会社とかでも使えると思う。ペットボトルを押す力で水圧が調整できるので、いろはすのような柔らかいものがおすすめ。

抗がん剤をやると副作用で思うように身体が動かせなくなって不自由がとにかく多くなるので、こういう便利グッズには本当に助けられる。

今回の副作用は投与1日目から吐き気が出てしまい、どうなることやらと思っていたけれど、2日目までは薬でなんとか抑えられる程度のものだった。

夏のさっぱりメニューということでスイカが出て狂喜。f:id:hapimi:20200716194844j:image嬉しすぎて撮る前に1かけ食べてしまった笑

勝負は3日目、流しのタイミング。こちらもそこまではつらくなかったが、今回はずーっと横になっていた。Switchも起動せず。たまにこうしてブログを書く。それが1番身体が楽な気がした。抗がん剤を入れている時は目を閉じればうたた寝...ばかりだった。相当に体力を消耗するのだろう。でも、3日目、流しの日になると身体が回復してくるのか、うたた寝できず落ち着かない事が多かった。と言っても目を使うのはやはり疲れるようで、少しブログを書いてTwitterを見ると自然に目を閉じたくなるのであった(でも眠れはしない)。とはいえ、最初の頃の入院に比べると、吐き止めは欠かせないもののきちんとご飯は食べられるし随分楽だったと思う。まあこれは、抗がん剤自体がとても久々で体力が回復していたことと、抗がん剤の種類が1つ減っていたことによるだろうから、これからまたつらくなることも大いに考えられるんだろうけど。入院自体は手術の時にとんでもない長さを経験したおかげで、今回はあっという間に感じられた。退院も問題なく予定通り。と思ったらめちゃくちゃめまい出て死ぬかと思った。無事に帰れるかめちゃくちゃ不安だったよ...なんとか帰って爆睡したらご飯もちゃんと食べられるようになったので本当に良かった。これから週1日通院で抗がん剤投与。お風呂の許可がようやく出たのも嬉しかった。やっぱりお家が大好きだ。

 

それでは、また。