鼓動、千々に

闘病記。あした天気になあれ。

治療から半年が経ちました

朝、はてなさんからこんなメールが届いていた。f:id:hapimi:20200720162641j:image

このブログを始めてから半年経ったとのこと。ということは、闘病も大体半年経ったということで。体感としては、あっという間。がんを宣告されたのが1月の真冬だったけれど、もうすぐ梅雨が明けようとしていて、今日は溶けるように暑かったりする。でも、中身は相当に濃くて、そのほとんどは苦しみだったなあ。

最初に出会った苦しみは、抗がん剤による副作用...と思ったんだけど、がんを宣告されたことがいちばん初めの苦しみだったよね。いきなり、あなたはがんです、それもめったにない珍しいやつでデータがありません。なんて言われてさ。なんで私が、これからどうなっちゃうんだろう、死んじゃうのかな...仕事は?お金は?でも死んじゃうなら意味ないよなあ...冷静であろうと努めていたけれど、とにかく怖かったし、申し訳なかったし、たくさん泣いたなあ。夫も両親も職場の方も泣かせてしまった。がんは先が見えない病気だし、最悪の結果は死だし、急転直下に悪くなることだってある。いつ、どうなるかわからない。この苦しみは今でも続いてる。怖くて眠れず、泣き通す夜もある。多分この苦しみはずっと続いていく。

そんな気持ちをどうにか奮い立たせて、抗がん剤治療を受けた。吐き気と倦怠感、手足の痺れ、味覚障害、感覚過敏などの副作用に苦しんだ。まあ並べたらキリがないというか健康、まともに機能しているところは何一つないですという感じ。入院中、看護師さんが抗がん剤を扱う時に顔をシールドで覆いビニールエプロンを着け手袋を二重にしている意味が分かる。劇薬なの。毒なの。そんなもんを身体の中に入れて、がんだけに作用するなんて都合の良い話があるわけないよね。それにしたってつらい。ベッドから起き上がることもできないで1日が終わる...なんてことも多かったし。なんだか蛞蝓みたいだな、なんで生きてるんだろ、これって生きてるって言えるのかな...って思ってた。

次は手術。その少し前に抗がん剤の副作用で貧血の症状が強く出て、初めて輸血したのもこの時。寝ていても酷い頭痛で起きてしまう、3歩歩くだけで息切れと動悸。輸血と合わせて長い入院になったのがつらかった。コロナが流行り出した頃だったから大事をとって外出を取りやめたんだっけ。手術後は身体中からいろんな管が出ていて思うように体が動かせなくて、食事も歯磨きも満足にできない。座っているのがつらいから寝ていることしかできない。回復が遅くて、縫ったはずの傷が開いて、浸出液や血が止まらずいつも下半身はぐずぐず。延びていく退院。今週から帰れそうと期待を持たせてやっぱりダメ...上げて落とされてでメンタル崩壊...みたいな繰り返しだったなあ。それでも根気強く傷のケアをして、ようやく傷が塞がって。取り出した腫瘍の端にがん細胞が残っていたのはショックだったけど、予想通りでもあったなあ。場所がね、本当に悪いから。

記憶に新しい放射線治療。全33回、しっかり通いきりました。放射線炎、本当に酷く出たもので。尿道・膣口・肛門一帯がどろどろに溶けて。排泄のたびに痛みがあって、更に清潔にしないといけないからシャワーも当てないといけない。酷い痔が1番つらかったかな。便器が真っ赤になったのを見て恐ろしくなった。気力も体力もごっそり削られていて。場所柄、惨めだと感じることも多かった。浸出液と軟膏で続く下半身のぐずぐず。座っているのは当然つらいから、ほとんど横になっていたなあ。そんな中で毎日の通院。歩くのもつらくてタクシーに乗り込むのもつらくて。それでもなんとか、どうにか通いきって、皮膚炎が回復したのは終了から2週間が過ぎたころだったかな。今日、ようやく久しぶりにお風呂に入れるところまで回復した。

治療はまだまだ続いていく。まずは1年、治療をしっかりやり通すことができるように、1年経ちましたってブログに書けるよう頑張っていこうと思う。まあこのブログ、特に誰が見ているわけではないし読者もいないんだけれど。闘病ブログといえばAmebaだけど、あちらで書いている人たちのビュー数や読者数ってものすごいよね。はてなとは全然毛色が違うけれど、私があちらで書いていたら多くの人に読まれていたのかな、なんて思うこともあったり。読まれたいというよりかは、せっかくだし、私の体験が他の人の為になれば良いななんて思ったりすることもあるので。がんの名前を公表すれば検索とかで引っかかるようになるのかな。身バレ怖いな笑 まあ、色々考えましょう。

それでは、また。